意思決定の自由度と幸福
日本人が陥りやすい育児上の失敗に「過干渉」というのがある。
子のためにと言いながら実は親が自分の果たせなかった自己実現の道具として、子に色々強制して習わせるというものだ。
医学部でもこういった家庭で育ち、人生が壊れてしまった人を見たことがある。
家業を継ぐしか選択肢が与えられなかった人、医学部に行くために多浪して遂にはニートになってしまった人、結婚相手まで親に決められてしまった人、友人と遊ぶことやゲームをすることやお菓子を食べることを禁じられた人もいる。ひたすら野球をするように親に仕向けられ、イチローになれなかった元スポーツ少年も日本中にはたくさんいると思う。
この反動が現れた人も見たことがあるだろうか?
地元から脱出するためにとにかく都会に出て結婚した人、友人との付き合い方が大人になっても分からない人、餓鬼のように友人の家でお菓子を貪り食う人もいる。
これを書いているのは2021/11/03で、世間では皇室の結婚問題が大きく報道されているときだ。生まれながらに皇族だったという立場はどれほど自由の制限を受けていたのかと思うと胸が痛む。小室眞子さんはとても強い人だと思う。また小室圭さんも日本での行動の自由を失い、一からアメリカで生活を作り上げることの大変さを思うと、金銭的利得より遙かに大きな代償を払わないといけない。とても勇気のある人だと思う。
これを叩く人は自由をとても軽視している人だと思う。
集団での制約が無いということはとても厳しいことで、無人島で暮らすことを考えてみて欲しい。食料も住居も自分で調達しないといけない。飲料水ですら簡単には手に入らない。社会で暮らす以上、何らかの制約は生じるのは仕方が無い。
またホモサピエンスはとても社会的な生き物なので、社会に貢献できるということに幸せを感じるようにできている。
社会と関わる上での制約(社会の一員であると実感することでもある)と、自己決定権を持つことは心の健康にとても大切だ。
親が子にさせたいことがあるのなら、一緒に楽しむか、努力している背中を見せるかしか方法は無い。
親という立場を利用して強制して習わせたり、賞罰で釣るのは良い方法では無い。
イチローや清塚さんのような成功者は極一握りで、たくさんの挫折者が死屍累々といるのである。
(2021/11/03 管理者記載)
Happiness and self-knowledge: A positive psychology and judgment and decision-making hybrid course
Jaime L. Kurtz
The Journal of Positive Psychology
Volume 6, 2011 - Issue 6: Positive Psychology in Higher Education
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/17439760.2011.634820
https://doi.org/10.1080/17439760.2011.634820
Abstract
This chapter describes an undergraduate positive psychology course that specifically focuses on the construct of happiness, or subjective well-being. Judgment and decision-making research is used to understand the processes involved in making decisions with the goal of promoting happiness. The course heavily focuses on methodology and recent empirical research. However, students are also given hands-on activities and are encouraged to consider the relationship between happiness, self-knowledge, and decision-making processes in their own lives.
Googleには20%ルールというものがあった。
「必ず勤務時間の20%を自分の取り組みたいプロジェクトに費やさないといけない」というルールだ。
(アメリカの他の巨大IT起業でも10〜15%程度の時間を設けているようだ。
今もGoogleでは撤廃されていないが、2013年以前に義務制から許可制に変わったようだ。)
この勤務時間内の余暇時間にGmailやAdWordsが生まれた。イノベーションの源泉となっている。
勤務時間内の余暇時間でなくても、自由な時間があれば何かを考えたくなるのが人間だ。この時間は多くの人の幸福を高めてくれる。
また失敗したとしても「自分で選んだ結果だ」と納得することはできるだろうが、他人から強制されて、その結果が失敗に終わったらとても辛い経験になると思う。
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人は1日に2〜5時間程度の自由時間があると幸福度が増す
自分がしたいことをする「自由時間」は、多過ぎても少な過ぎても、人々のウェルビーイング(身体的·精神的·社会的に良好な状態にあること)を低下させるとする研究結果が報告された。研究論文の筆頭著者である、米ペンシルベニア大学マーケティング分野のMarissa Sharif氏は、「少な過ぎる自由時間はストレスの元となり主観的ウェルビーイングの低下を招く。
しかし、自由時間は多ければ良いというものでもないようだ」と話している。この研究の詳細は、「Journal of Personality and Social Psychology」に9月9日掲載された。
多忙過ぎて自由時間がないことに不満を抱く人は多い。しかし、自由時間の少なさは本当に有害なのだろうか。また、自由時間が増えることで幸福感は増すのだろうか。Sharif氏らは、こうした疑問を明らかにするために、2件の大規模データの分析と2つの実験を行った。
まず、米国人材マネジメント協会が実施している調査である、National Study of the Changing Workforce(NSCW)への1992~2008年の参加者1万3,639人のデータが分析された。調査の質問項目の中には、「仕事がある平日の自由時間は平均してどれくらいですか」など、参加者の自由時間に関するものが含まれていた。主観的なウェルビーイングは、人生への満足度で評価された。分析の結果、自由時間の多さはウェルビーイングの向上と有意に関連することが明らかになったが、それはある時点までで、そこを超えると、自由時間の多さとウェルビーイングの向上の関連は消失した。
次にSharif氏らは、米国労働省労働統計局が実施している調査である、American Time Use Survey(ATUS)に2012~2013年に参加した2万1,736人のデータを分析した。ATUSでは、参加者は調査前日24時間の具体的な行動とウェルビーイングについて調べられていた。このデータ解析でも、自由時間の増加に伴いウェルビーイングは向上したものの、1日の自由時間が2時間程度になるとその向上が横ばいとなり、5時間を超えると低下し始めることが示された。
そこでSharif氏らは、この現象をより詳しく調べるために、6,000人以上を対象に、オンラインで2つの実験を行った。1つ目の実験では、参加者に毎日、わずかな(15分)、適度の(3.5時間)、または多くの(7時間)自由時間があることを想像してもらい、どの程度、喜びや幸福感、満足度が得られるかを評価してもらった。その結果、自由時間がわずか、または多い群では、適度な群と比べてウェルビーイングが低いことが明らかになった。自由時間がわずかな群では、適度な群に比べて、ストレスを多く感じていた。一方、自由時間が多い群では適度な群に比べて、自分が生産的な活動をしていないと感じる人が多かった。Sharif氏らは、こうしたことがウェルビーイングの低さにつながったものと見ている。
2つ目の実験では、生産性が与える影響について検討された。参加者には、適度な(3.5時間)、または多くの(7時間)自由時間があり、その時間を使って生産的な活動(ワークアウト、趣味など)か、非生産的な活動(テレビを見るなど)をすることを想像してもらった。その結果、多くの自由時間を非生産的な活動に費やした群では、ウェルビーイングが低いことが判明した。しかし、自由時間が多くても生産的な活動を行った場合では、ウェルビーイングは適度な自由時間を持っていた群と同程度だった。
この結果について、今回の研究には関与していない、米ジョージ·メイソン大学ウェルビーイング促進センターのJames Maddux氏は、「生産的な自由時間が目的のない自由時間と異なるということは、理にかなっている」と話す。同氏は、「とはいえ、人にはさまざまな考え方がある。自由時間のために稼ぎを減らすことを望まない人もいれば、たとえ給料が減っても仕事を減らして自分や家族のための時間を増やしたいと考える人もいる。また、“生産的”な活動についても、普遍的な定義はない。読書に意義を見出す人もいれば、それを怠惰な活動と思う人もいる」と述べ、「この調査結果から、人がどの程度の自由時間を持つべきかについての処方箋を得ることはできない」と結論付けている。
Sharif, M. A., Mogilner, C., & Hershfield, H. E.
Journal of Personality and Social Psychology
https://doi.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2Fpspp0000391
Many people living in modern society feel like they do not have enough time and are constantly searching for more. But is having limited discretionary time actually detrimental? And can there be downsides of having too much discretionary time? In two large-scale data sets spanning 35,375 Americans and two experiments, we explore the relationship between the amount of discretionary time individuals have and their subjective well-being. We find and internally replicate a negative quadratic relationship between discretionary time and subjective well-being. These results show that whereas having too little time is indeed linked to lower subjective well-being caused by stress, having more time does not continually translate to greater subjective well-being. Having an abundance of discretionary time is sometimes even linked to lower subjective well-being because of a lacking sense of productivity. In such cases, the negative effect of having too much discretionary time can be attenuated when people spend this time on productive activities.
ある弁護士のブログで、秋篠宮の立場が「苦しい」と書かれていたことにハッとさせられたが、それ以外は殆ど私と同じ意見が書かれていたので紹介したい。とにかく自由な生活を取り戻して欲しい。
小室さんと眞子さんについて日本の司法試験合格者が知っていること、思うこと
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(2021/11/06時点でブログが削除されていました。)
ここから先は物理や数学に興味のある人だけに向けて書いています。
ラプラスの悪魔と自由意思
児童精神医学や心理学の立場から言えば、自由はとても大切なもので幸福を高めることは間違いない。
ここでは物理学の立場から「自由意志は存在するか?」という問題を考察してみる。
<ラプラスの悪魔>
ニュートンの運動方程式は初期値を与えたら、その後の位置は完全に決まってしまう。
速度に比例する摩擦の項を加えても線形方程式なので初期値鋭敏性は無い。
ビリヤードの球のように分子の軌道が運動方程式で決まっているのなら、我々の脳の中で血流に乗って動いている分子の未来は予測できることになります。神経伝達とは、脂質の膜の上に浮かんでいるナトリウムやカリウムを通すチャネルが沈んだり、浮いたりすることで蓋が閉まったり、開いたりしてイオンが出入りして、緩やかな電気信号となっている。
もしこれが137億年前のビッグバンの時に決まっていたのなら、1年後に食べるものも既に決まっていて、何歳で死ぬかも分かっていて、我々に自由意志は無いことになる。
人生は大掛かりなピタゴラスイッチなのだろうか?
ピタゴラスイッチを作った創造主のことを「ラプラスの悪魔」と例えて言う。
<カオス>
ビリヤードの球から少し複雑にしてみる。
連結振り子と呼ばれるものがある。その運動方程式は理系の学生で真面目に勉強している人なら試行錯誤しながら何とか書くことができると思う。
この方程式は2階までの微分された変数が掛け算で含まれ、非線形である。
下のgifのように初期値鋭敏性を持つ。僅かな初期値の差が、未来の大きな差になってしまうカオスの一例として有名である。
このように古典力学でも未来の予測は難しい。
我々の周りでも間一髪で助かったとか、飛行機に乗り遅れたから墜落から免れた人の話があったりする。
スターリンや毛沢東やヒトラーが幼少期に麻疹で死んでいたら歴史は変わっていたと思う。
ミクロもマクロの世界も多体間の相互作用だらけで、非線型方程式は普遍的だ。
「風が吹けば桶屋が儲かる」というのは戯言に過ぎない、未来はカオスという世界に生きているのだろうか?
ラプラスの悪魔がいるとすれば、カオスとして適当にこの世界を作ったのだろうか?
<未来は計算可能か?>
将棋や囲碁の場面の数を数え上げたらどれぐらいになるのだろう? 知っていますか?
私は以前、計算機の性能が上がればいつか必勝法が見つかって、プロ棋士がいなくなるのではないかと思っていましたが、真面目に定量的に評価すると、それは間違っていました。
スーパーコンピュータ富岳を使ったとしても、地球が太陽に飲み込まれる60億年後になっても計算が終わりません。
宇宙全体の水素が燃え尽きる2兆年後になっても計算が終わらないのです。
(水素が燃え尽きる遙か前に、ダークエネルギーによって宇宙が引き裂かれるようですが。)
ラプラスの悪魔が量子コンピュータを持っていても、宇宙全体の素粒子の古典的運動方程式を解いた場合、計算が終わらないでしょう。
<量子力学の世界〜確率論的存在>
水素原子の励起状態、特に方位量子数(l)と磁気量子数(m)によって、形が大きく変化する。
電子が存在する確率は以下の図のようにぼんやりと広がっている。
ミクロの世界では存在位置の確率しか予測することができない。
ラプラスの悪魔は、いつも無数のサイコロを振って決めているのだろうか?
<そもそも未来って何だ?>
物理では運動方程式のパラメータとして、A pri oriに与えられている時刻(時間)って何だろう?
これに答えようとしている物理学は殆ど無い。Loop量子重力理論はこれに答えようとしている数少ない分野だ。
(この理論ではPlanck時間という極めて短い離散的な時間が演繹的に導き出されるはずだが、全てが完成した理論ではない。)
どうやらエントロピーと関係しているようだが、エントロピー増大に抗っているのが生命だ。
時間とはエントロピーの増大に抗っている生命だけが感じるもののようだ。
<結局、自由意志はあるのか?>
存在証明をするには、まずその定義から始めないといけないのは理系の学生なら皆知っているだろう。
おそらく「決定論的物理学からすると我々には自由意志はない」というのが答えだろう。
植物は真核生物になった後、光合成をする細胞を取り込んだことによって、移動する労力を省き一ヶ所に定住することを選んだ。
我々だけに自由意志があって、昆虫や植物には自由意志は無いのだろうか?
2021/11/03、温暖化した秋の日に、自宅の庭の木にススメバチがやって来た。
巣を掛けようとしたのだろう。私は殺虫剤で追い払った。
私は自由意志によってススメバチを追い払い、ススメバチも自由意志によって巣を掛けようとした。
決定論的物理学から見ると自由意志は無い。一方、生物学的には自由意志はあると私は考えている。
私の持っているMacBookAirはいつか壊れてしまい自由意志は無い。しかし自己複製できるAIは自由意志を持つだろう。
「定義の問題でしか無い」と私の自由意志は考えているようだ。
ご都合主義だが、そう考えていくのが良いのだと思う。
見せかけの自由意志は我々に健康をもたらし、生存確率を高めてくれる。
我々は生物というフォーマットから抜け出すことは無理なのだから、その範囲内で考えれば良いだけのことだと思う。
(2021/11/03 管理者記載)
<法学的自由意思>
おまけだが精神医学以外で、もう一つ自由意志の有無が大問題になる分野がある。
(物理学では自由意志の有無は大して問題になっていないと思う。)
法律の分野では自由意志の有無は有罪・無罪に決定的な影響を与える。
心神喪失 や心神耗弱によって無罪になったり、「故意では無い」として減刑になったりすることはよくあることだ。
この判断は精神医学的には問題ないと思う。しかし決定論的物理学から見ると正しくない。
国によって判断が一律ではないのは当然で、仕方が無いことだと思う。
(2021/11/04 追記)